■兄と弟■


「お使い、思ったより早く終わったね」

 雷蔵は笑顔で、隣を歩く三郎に声をかけた。「だね」と、三郎からも笑みが返ってくる。今日も町は非常ににぎやかで、大きな声で話さないと互いの声が通らない。

「どうする雷蔵、何処かに寄って行こうか」

「そうだなあ、どうしようか」

 雷蔵は腕を組んで考えた。すると三郎が笑う。

「そんなことで悩むなよ」

「いやだって、試験が近いから勉強しないと……。ああでも、一日くらい遊んだって別に構わないかな。折角の外出許可だし……だけどなあ」

 頭を悩ませる雷蔵に、三郎は笑い声を大きくした。

「あっ! ぼくらとおんなじだ!」

 雷蔵たちの側で、甲高い声がした。そちらに視線を向けると、幼い少年がふたり、雷蔵と三郎の顔を見上げていた。彼らは鏡で写したようにそっくりで、どうやら双子の兄弟らしかった。

「ねえねえ、お兄ちゃんたちも双子でしょ?」

 双子の片割れが弾んだ声で尋ねる。ふたりとも、何やら瞳がきらきらしていた。雷蔵と三郎は、瞬きをして双子を見返す。そして雷蔵が何かを言う前に、三郎が

「そうだよ、わたしたちも双子だよ」

 と答えた。雷蔵も笑顔で頷いておいた。双子たちは、わあっと声をあげて嬉しそうに手を叩き合った。自分たち以外の双子(雷蔵たちは、本当は違うのだけれど)を見たのが、初めてなのかもしれない。

 三郎と雷蔵は外出時に双子と間違われた場合、こうやって肯定するようにしていた。否定してのちのち面倒くさいことになるよりは、適当に話を合わせておく方が何かと楽だからだ。

「お兄ちゃんたちも、そっくりだね」

「そうだろう、そうだろう」

 三郎は嬉しそうだ。雷蔵は苦笑いを誤魔化すために、咳払いをひとつした。

「周りの人に、よく間違われるでしょう」

「ああ、毎日間違われるよ」

 やっぱり、三郎は嬉しそうだ。雷蔵は、もう一度咳をした。

「あのね、ぼくが兄ちゃんなんだよ」

 双子の片方が、元気よく手を挙げた。次いで、もう片方が勢いをつけて手を挙げる。

「それでぼくが、兄ちゃんの弟なの」

「ねえ、お兄ちゃんたちは、どっちが兄ちゃんなの?」

「それはもちろん……」

 幼い双子の問いに、三郎と雷蔵の声が重なる。それから二人は、思わずお互いの顔を見た。三郎がにこりと笑顔になる。雷蔵も、目を細めて笑った。それと同時にごくごく小さな音が、雷蔵の耳に飛び込んできた。三郎からの矢羽音だ。

(もちろん、おれが兄貴だよな?)

 その暗号に雷蔵は笑顔を深くして、矢羽音を送り返す。

(何言ってんの、ぼくがお兄さんでしょう?)

(おれの方が、誕生日が先だ)

(だけど、この顔の元祖はぼくなんだから、きみは弟ってことになるんじゃないの)

(いや、でもおれの方がしっかりしているし、雷蔵の面倒を見てると思う)

(本気? 三郎が部屋で散らかした私物を片付けてるの、誰だと思っているのかな)

(片付けてるっていうか、大雑把に脇に寄せるだけじゃないか)

(三郎は、それすらしないだろ)

(雷蔵こそ、こないだの試験でヤマを教えたのは誰か、忘れないで欲しいな)

 三郎と雷蔵は、せわしなく矢羽音のやり取りをした。しかし端からはにこにこと笑い合っているようにしか見えないため、おさない双子は首をかしげている。

「……よし、じゃあこうしよう」

 声に出してそう言って、三郎は双子に向き直った。そして、両手を広げて言った。

「きみたち、わたしと彼、どちらが兄さんに見える?」

 三郎の問いに、双子は「ええー?」と楽しそうに声をあげた。それから二人で顔をくっつけ、小声で何やら相談を始める。その様子を、三郎と雷蔵は固唾を呑んで見守った。やがて結論が出たらしく、兄弟は顔を離した。

「せーの……こっちー!」

 ふたり同時に声をあげ、彼らが指さしたのは……雷蔵だった。瞬間、雷蔵の顔がぱっと輝く。

「やった!」

 雷蔵は思わず声をあげ、拳をぐっと握り締めた。そこに、「えええっ!」という三郎の叫びがかぶさってきた。彼はよっぽど自信があったらしく、双子の答えに心底驚いたようだった。

「なん……っ、何で!?」

 本気でうろたえる三郎に、雷蔵は声をあげて笑った。ここまで焦る三郎は珍しい。

「あははは、やっぱり見たら分かるんだよ、きっと」

 雷蔵は上機嫌で、三郎の肩を軽く叩いた。三郎は強く首を横に振る。

「嘘だ! 理由を聞かないと納得がいかない!」

 三郎は大人げなく、子どもたちに詰め寄った。それを見て双子は、ころころと鈴の音のような笑い声をあげ、今度は三郎を指さした。

「だって、こっちのお兄ちゃんの方が子どもって感じがするから」

「だから、こっちのお兄ちゃんが弟で、そっちのお兄ちゃんが兄ちゃん」

 そのときの三郎の表情を、雷蔵は一生忘れないだろうと思う。三郎のあんなに打ちのめされた顔を、雷蔵は初めて見た。よほどの衝撃であったらしい。あまりの意気消沈ぶりに最初こそ気楽に笑っていた雷蔵だったが、双子と別れて町を出て、忍術学園への帰路に至っても三郎がずっと落ち込んだままなので、段々と気の毒な気持ちになってきた。

「いや、あの、三郎……。子どもの言うことなんだから、そんなに落ち込まなくても……」

 慰めの言葉をかけると、三郎は半笑いの顔になった。

「わあ、雷蔵兄ちゃんは優しいなあ……」

 三郎はそう言って溜め息をつく。そういうところが子どもだと言われるんだ、と言いそうになったが我慢した。これ以上追い打ちをかけるのも気の毒だ。

「あーあ、落ち込むなあ……」

「だからさあ、深く考えるなって。あの子たちも、適当に決めただけだろうし」

「雷蔵は良いよなあ、大人って感じがするらしいもんなー。おれは子どもだもんなー」

「もう、しつこいなあ」

 雷蔵はやや呆れて息を吐いた。三郎はもう一度けだるげに「あーあ……」と呟き、それから何かを思い付いたようにはたと立ち止まった。

「三郎?」

 雷蔵も足を止め、三郎の方を振り返った。すると三郎は雷蔵の手をきゅっと握った。こんな道ばたで何を、と雷蔵は狼狽える。三郎は、真っ直ぐに雷蔵を見つめた。

「雷蔵、おれは傷心だ」

「はあ」

「だからもう歩けない」

「はあ?」

 思わず、顔をしかめて聞き返す。先程までこの世の終わりのような面持ちだった三郎は、いつの間にか笑顔になっていた。この代わり身の速さは一体何事だろう。

「そういう訳だから、雷蔵」

 三郎は軽く跳ねて、雷蔵の背中に飛びついた。雷蔵の腰に足を絡ませ、抱きつくようにしがみつく。突然の重量に、雷蔵は後ろに倒れてしまいそうになった。

「ちょ……な、何っ?」

「忍術学園まで、連れて帰って」

 いたずらっぽい声で、三郎は雷蔵の耳元で囁く。ぎょっとして、雷蔵は振り返った。歯を見せて笑う三郎と目が合った。

「おまえ、何言って……!」

「だって、おれは弟だから。兄上は責任を持って、弟を連れて帰ってくれないと」

「兄は弟をおぶって帰らないといけない、なんて決まりはないだろう!」

 雷蔵は背中に張り付く三郎を振り払おうとするが、物凄い力でしがみついて離れない。背中越しに、三郎が笑っているのが伝わってくる。

「だっておれは、傷心で歩けないもの」

「また、そんな馬鹿なことを……」

「ほら兄上、日が暮れてしまうよ。頑張って!」

「この……っ」

 けしかけるように言って雷蔵の肩を叩く三郎に、奥歯を噛み締めた。どうやっても離れないので、三郎を背負ったまま仕方なく一歩足を踏み出す。重い。とんでもなく、重い。このまま忍術学園まで歩くなんて、冗談じゃなかった。

「そんなだから、子どもだって言われるんだ!」

 先程は自重したその言葉を、雷蔵は遠慮無く言い放った。三郎は返事の代わりに笑い声をあげ、雷蔵の髪の毛に顔を埋めた。



 おっしまい