■あんこころ■


 腹が減った。さっきからぐうぐう鳴っている。何か食べたい。甘いものが良い。あんこ。あんこが食べたい。腹が減った。甘いものが食べたい。腹が減った。甘いものが食べたい。甘いものが食べたい。

「雷蔵」

 名を呼ばれて、はっと顔を上げた。目の前に自分の顔がある。すなわち、鉢屋三郎がいる。

「あ、三郎」

 雷蔵は、自分が自室の文机に肘をついた格好のまま、ぼんやりしていたことに気が付いた。いつからこうしていたのだろう。そして、学園長先生の手伝いに出ていたはずの三郎は、いつの間に帰って来たのだろう。

 腹がぐうと鳴る。空腹の余り、ぼうっとしてしまっていた。ああ、甘いものが食べたい。

「何を考えていたの?」

 何故かにこにこして、三郎は尋ねる。雷蔵は正直に答えた。

「腹が減った。甘いものが食べたい」

 そうすると、三郎はたちまち面白く無さそうな顔になった。そんな色気のない答えは聞きたくなかった、という面持ちである。

「……おれのことでなく?」

「お前のことでなく。ああ、もみじ堂の大福が食べたいなあ」

 雷蔵は、切なげな溜め息を吐き、街で一番人気の菓子屋に思いを馳せた。やわらかな餅に包まれた、しっとりほくほくの餡。甘くておいしい、大福。ああ、食べたい。腹が減った。大福が食べたい。

「おれは学園長先生の庵を掃除しながらも、ずっときみのことを考えていたのに……」

 薄情なものだ、と首を振り、三郎は床に腰を落として雷蔵の背中にもたれかかってきた。その重さで、身体が前に傾ぐ。

「だって、腹が減ってしまって」

 雷蔵は腹に手を当てた。ぐう、とまた鳴った。すると三郎は、些か呆れたようにこう言った。

「さっき、昼飯の後に林檎を食っていなかったか」

「うん、食べた食べた」

 美味い林檎だった。八左ヱ門がくれたものだ。つやつやのぴかぴかで、歯を立てると甘酸っぱい果汁が溢れてたまらなかった。しかし、それは既に腹の中に残っていない。

「最近、食べても食べても腹が減るんだよね……」

 食堂では、おばちゃんに飯を碗にめいっぱい盛ってもらう。それをお代わりしても、いっときは満足するがすぐに空腹を覚えてしまう。特に夜が辛かった。ひもじさの余り眠れない、なんてことも日常茶飯事である。

「まあ、育ち盛りだからね」

 そう言って、三郎は更に体重をかけてきた。その拍子に、雷蔵の腹がみたび、ぐうと鳴る。

「大福……」

 雷蔵はもの悲しなってきた。大福が食べたい。心から焦がれている。しかし、今から街に出掛けることは出来ない。たとえ外出許可が下りたとしても、街に着く頃にはもみじ堂も店じまいしているだろう。

 そのとき、部屋の外からおさない声がした。

「すみませーん、三郎先輩、いらっしゃいますかー」

「あ、庄左ヱ門だ」

 ぱっと、三郎は立ち上がった。障子を開け、「どうした、庄左ヱ門」「あ、三郎先輩。先程学園長先生が……」なんて会話を始める。雷蔵は机に突っ伏し、ああ、もみじ堂の大福が食べたい……と心の中で呟いた。あまりに腹が空いているので、もうそれしか考えられなかった。

「雷蔵、朗報だ」

 三郎が雷蔵の肩を叩く。顔をわずかに傾けて、横目で彼を見た。三郎は、宝物を見付けた子どもみたいな顔で笑っていた。

「学園長先生が、庄左ヱ門に大福を持たせて下さった」

 そう言って、竹の皮にのせられた真っ白な大福を差し出す。雷蔵は、勢いよく身体を三郎の方に向けた。眩しいような心持ちで、大福と三郎を交互に見つめる。三郎は続けた。

「先程、掃除のついでに屋根の修繕をしたから、そのお礼だって。良かったねえ、雷蔵。ほら、お食べよ」

 大福。大福である。どうしても食べたかったものが此処にある。雷蔵は、遠慮無くやわらかな大福を引っ掴んだ。そうして、はたと気付く。

「三郎は?」

 尋ねると、三郎は「おれは、別段空腹でないから」と言って首を横に振った。

「そうかい」

 雷蔵はひとつ頷いて、手の中の大福をふたつに割った。表面にまぶされた粉で、指先がたちまち白くなる。そうして、片方を三郎に差し出す。

「はい、三郎」

 すると、三郎は目を丸くした。

「おれは良いと言ったじゃないか」

  三郎の言葉に、雷蔵はかるく笑った。雷蔵が育ち盛りなら、三郎だって同じである。昼飯を食べて、学園長先生の庵を掃除して、今は夕飯前。三郎はいつだって涼しい顔を崩さないけれど、本当は彼も空腹のはずだ。

「いいや、お前と一緒に食べたいんだよ」

 そう言って、雷蔵は三郎の口元に大福を近付けた。一瞬彼は顔を引っ込めたけれど、「……きみがそう言うのなら仕方が無い」と微笑んで、雷蔵の手から大福を受け取った。

 ふたりは半分ずつ、大福を食べた。もみじ堂の大福ではなかったし、餅が少し固くなっていたけれど、空きっ腹には甘みが温かく染み渡った。

 雷蔵は、あっと言う間に大福を平らげた。終いに、指についた粉を舐め取って、ほうっと息を吐き出す。

 三郎の方を見ると、彼も最後のひとくちを口の中に放り込むところだった。雷蔵の視線に気付いた三郎が、こちらを見やって目を細めた。

「雷蔵。今、何を考えている?」

「お前と同じことを考えているよ」

 ふたりは笑い合った。それと同時に夕飯の鐘が鳴る。ああ、腹が減った。おばちゃんのご飯を食べに行こう。




ハロウィン関係ないけど、ハッピーハロウィン!