■級長たちの昼下がり■


 学級委員長委員会委員長代理の鉢屋三郎は、今日もぶっちぎりで集合時間を破って委員会室に現われた。相変わらず、不破雷蔵の顔を使っている。

「やあ、きみたち。早いね」

 呑気な表情でゆっくりと部屋に入ってくる三郎に、黒木庄左ヱ門と今福彦四郎は顔を見合わせてため息をついた。これで、五回連続遅刻だ。集合時間を指定するのは、委員長代理の三郎なのに。

  何度「時間通りに来て下さい」と頼んでも遅刻癖が改まらないので、彼らもいい加減諦めてしまった。この人が学級委員長で、五年ろ組は大丈夫なのだろうかと、庄左ヱ門たちはしばしば思う。

 何はともあれ全員揃ったので、庄左ヱ門はお茶を淹れることにした。三郎の傍らに湯呑みを置くと、三郎は笑顔で「ありがとう庄左ヱ門」と言って、何処からか風呂敷包みを取り出した。

「お菓子を沢山持って来たから、皆で食べよう」

 そう言って、包みを解く。中には飴や饅頭、煎餅に干菓子といった様々な菓子が入っていた。一年生ふたりは、思わず身を乗り出してそれらを見つめた。

「……これ、委員会の予算で買ったんですか?」

 怪訝そうな面持ちで尋ねる彦四郎に、三郎は「そうだよ」とこともなげに頷いてみせた。彦四郎は「いいのかなあ……」と呟く。

「何だ、食べないのなら、わたしと庄左ヱ門で全部食べてしまうぞ」

「たっ、食べます!」

 慌てて煎餅に手を伸ばす彦四郎に、三郎は声をあげて笑った。庄左ヱ門も饅頭を掴んだ。

「おれが卒業したら、きみたちがおやつ代を会計委員からもぎ取ってくるんだぞ」

 茶を飲みながら、三郎が楽しげにそんなことを言い出した。 庄左ヱ門と彦四郎はほぼ同時に、「無理ですよ!」と声をあげた。三郎は、不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせる。

「どうして? その頃には、もうギンギン先輩もいないんだから、予算会議も少しは楽になってると思うけど」

「だけど潮江先輩の次は、田村先輩が委員長になるんでしょう?」

 そう言って、彦四郎は庄左ヱ門にちらりと視線を投げた。庄左ヱ門は深く頷き、後を受け継ぐ。

「田村先輩は過激な火器が好きだから、予算会議も恐ろしいことになりそうで……」

 下級生の言葉に、三郎は膝を打って笑った。

「何を言ってるんだ。ああいう頭に血が上りやすい奴こそ、ハメやすいんだぜ」

「そうなんですか?」

 庄左ヱ門と彦四郎は、揃って三郎を見つめた。優秀だけど変わり者である先輩は顎に手を当て、目を細めて悪そうな笑みを浮かべていた。そのただならぬ雰囲気に気圧されて、庄左ヱ門たちはごくりと唾を呑んだ。

「ああ、そうさ。例えばこういう方法が……」

 そこまで言って、三郎は不意に口を閉じた。それから思い直したように息を吐いて、何やら含みのありそうな表情で頭を掻く。

「やめておこう。あんまり言うと、雷蔵に怒られるから」

 三郎は、ひらりと手を振って湯呑みに口をつけた。白い湯気で、三郎の顔が曇る。

「怒られるんですか? 不破雷蔵先輩に?」

 小首を傾げる彦四郎に、三郎は首を縦に振った。

「そう。後輩に悪知恵を授けるとね、こっぴどく叱られてしまうんだ」

「ぼく、雷蔵先輩が怒ってるところって見たことないです」

 庄左ヱ門はそう言って、湯呑みを床に置いた。三郎といつも一緒にいる図書委員の不破雷蔵は、迷い癖という大きな欠点はあるものの優しくて頼りになるお兄さんなので、一年生はみんな雷蔵のことが好きだ。庄左ヱ門は、そんな雷蔵でも怒ることがあるのかと意外に思うと同時に、まあ三郎先輩相手なら怒るだろうな、と納得もした。

「ぼくもないです。何だか想像がつきません」

 ぴんと背筋を伸ばした彦四郎が言った。庄左ヱ門も同感であった。なので、こう言ってみた。

「三郎先輩、雷蔵先輩が怒ったら、どんな感じになるんですか?」

 庄左ヱ門の言葉を受けて、三郎は「そうだなあ……」と腕組みをした。それから突然、拳で思い切り床を殴りつけた。どん、と大きな音がして一年生ふたりは飛び上がりそうになった。

「三郎! おまえ、また後輩に余計な入れ知恵をしたろう!」

 三郎は目をつり上げて怒鳴った。三郎の声真似は完璧で、庄左ヱ門は一瞬、自分が雷蔵に叱られているような気分になって肝が冷えた。ふと隣を見ると、彦四郎も目を見開いて凍り付いたように動きを止めていた。

「と、こんな風に」

 ぱっといつもの笑顔になって、三郎は軽い調子で言った。庄左ヱ門は身体の力が抜けるのを感じ、息を吐き出した。

「は、迫力、ありました」

「雷蔵先輩、怒ったらそんな風なんですね……」

 気を付けよう、とふたりは頷き合った。三郎は、この上なく楽しそうに微笑んでいる。

 そのときであった。ばたばたと騒がしい足音が聞こえてきたと思ったら、勢いよく委員会室の障子が開かれた。同時に、大きな声が室内に飛び込んでくる。

「っああっあああー! 悔しいー!」

 庄左ヱ門たちは、いっせいにそちらを見た。そこにいたのは、三郎と全く同じ顔をした五年生、すなわち不破雷蔵だった。何があったのかは知らないが、雷蔵は本当に悔しそうな顔をして、部屋の中に転がり込んできた。

「あ、ばれたかい?」

 三郎は微笑んで、茶をひとくち飲んだ。雷蔵は床に座り込んで、手のひらで床を叩いた。

「ばれた! くそっ! 何なんだあいつ! おれは完璧だったのに!」

 それを聞いて、庄左ヱ門はあれっと思った。不破雷蔵先輩は、こんな風に荒い言葉を使う人だっただろうか。反対に、三郎は苦笑いを浮かべつつ、

「だからよそう、と言ったのに」

 と、穏やかな口調で言う。それにも違和感を覚えた。鉢屋三郎先輩は、こんな優しい物言いをする人だっただろうか。

「あああ、悔しいいっ!」

「ふ、不破先輩……? 一体、どうし……」

 悔しさをあらわにして悶える雷蔵に、彦四郎がおろおろと声をかける。それを見て、悠然と茶を飲んでいた三郎が首を横に振った。

「ああ、違うよ彦四郎」

 それから、床にうずくまって悔しい悔しいと呻いている人物を指さして、こう言った。

「それは不破雷蔵じゃなくて、鉢屋三郎」

「え?」

 庄左ヱ門と彦四郎は、目を丸くした。さっき、部屋の中に入って来たのが鉢屋三郎先輩。ということは、今の今まで一緒に茶を飲んで話をしていたのは……。

「つまり、以上ぜーんぶ不破雷蔵がお送りしました、ってこと」

 そう言って、鉢屋三郎……ならぬ、不破雷蔵は明るく笑って、頬に指を当てた。

「えええええっ! 嘘だあっ!」

 三郎のふりをしていた雷蔵の宣言を聞いて、彦四郎は目を大きく見開いて叫んだ。庄左ヱ門も、大層驚いた。完全に、鉢屋三郎だと思い込んでいた。だって仕草も口調も言動も、何もかもが三郎そのものだった。まさか、ふたりが入れ替わっていたなんて。

「それじゃあ、鉢屋先輩は何を悔しがっておられるのですか?」

 驚いたけれど、それ以上に気になることがあったので手を挙げて質問してみたら、彦四郎が呆れたふうにこちらを見た。

「……庄左ヱ門おまえ、相変わらず冷静だな」

 そんなやり取りを見て、雷蔵が笑う。そして、こう説明してくれた。

「三郎は、ぼくの代わりに図書委員会の活動に参加してたんだ。中在家先輩を騙すんだ、って言って」

 三郎は先程からずっと、床に転がって「悔しい、悔しい」と繰り返している。こんなに悔しそうな彼を見るのは、初めてかもしれない。何だか貴重な体験をした気分だ。

「でも、ばれてしまったんですね」

「そうみたい」

 庄左ヱ門の言葉に、雷蔵は苦笑した。三郎の変装を見抜くなんて、中在家先輩は凄いなと庄左ヱ門は思った。自分も六年になれば、それくらい目が育つだろうか。

「雷蔵聞いて! でも、二刻は騙した! 二刻は騙し通せたんだぜ!」

 勢いよく起き上がった三郎が、雷蔵の肩にのしかかった。首筋に額を擦りつける三郎に、雷蔵は「うんうん、頑張ったね」と言ってため息をついた。

「雷蔵ってばつれない! 酷い!」

「はいはい、分かったから」

 雷蔵は背後から回された三郎の腕をやんわりと解き、立ち上がった。

「それじゃあ、ぼくは図書委員の方に戻ろうかな」

 そう言って、未だ悔しい悔しいと言い募る三郎のことは放って、軽い足取りで歩き出した。そして障子に手を掛けたところで、庄左ヱ門たちの方を振り返る。

「ふたりとも、騙してごめんね」

 雷蔵は、庄左ヱ門と彦四郎の顔を順に見て、小さく頭を下げた。それから、「でも、楽しかった」と笑い声まじりに付け加える。

「あの、雷蔵先輩!」

「何だい、庄左ヱ門」

 背筋を伸ばして手を挙げる庄左ヱ門に、雷蔵は首を傾けた。庄左ヱ門は、じっと雷蔵の顔を見た。優しくて人当たりの良い面差し。何処からどう見ても、不破雷蔵だ。

「……次は、見抜いてみせます!」

 決意を込めて力強い口調で宣言すると、雷蔵は数回目を瞬かせた後、庄左ヱ門がすっかり三郎と見間違えた悪戯っぽい表情になり、こう言った。

「うん、負けないよ」








雷蔵→萌える
庄ちゃん→萌える
雷蔵と庄ちゃん→∞(インフィニティ)
なぜこのことに今まで気付かなかったのか……